素封家菊池家について

素封家とは、「大金持ち」を意味する昔の言葉で、

菊池家は代々山田を支える重要な役割を担ってきました。

歴史

菊池家は江⼾時代から庄屋として村落をまとめ上げ、1650年代の⽟島⼲拓では普請奉⾏(ふしんぶぎょう)として⼲拓⼯事の指揮をとりました。その後、備中松⼭から⽟島を陸路で結ぶ「⽟島街道」の利⽤増加によって、⼭⽥は宿場町としても栄えました。

しかしこの宿場は宿泊所よりも休憩所・昼⾷所としての機能が強かったため、殿様宿泊の際は本陣として菊池邸がしばしば活⽤されました。1868年(明治元年)には⽼中松⼭藩主板倉勝静が⻑州藩討伐に出陣するとき、3⽇間にわたり総勢191⼈が菊池邸に宿泊したという記録も残っています。

また菊池家は⽟島⼲拓の時期と並⾏して、造り酒屋も営み商業者として栄えた⼀族でもあり昭和初期には村医として、医院を開設・運営しました。このように、菊池家は⼭⽥の「⽣活」「商業」「医療福祉」を⽀える重要な役割を担い、現存する菊池邸はその歴史を今に伝えているのです。

建物

菊池邸の敷地⾯積は約2,600㎡(780坪)で建物は床⾯積約300㎡の主屋、約140㎡の諸室、約150㎡の病院、⻑屋⾨、各種蔵から構成されており、現在も⽇本家屋の趣をそのまま残しています。